シニアカーで町づくりを!2018.10.24 00:28 先週、金曜市にシニアカーでツーリングに来た一団があった。南の風診療所に通う高齢者だった。それをみて次々とひらめきがあった。まず、かっこいい。時速6キロまで出るので人間の速足ぐらいのスピードが出る。ちょっとコンビニまでにちょうどいい。何もシニアに限定しなくとも市民や観光客の足代...
ハイカラだった1970年のラオス2018.10.01 10:23 一九七〇年から二年、青年海外協力隊員としてラオスの首都ビエンチャンで日本語を教えた桑原晨さんに東南アジアの今昔についてインタビューした。、桑原さんは七八年からアジアに特化したユニークな出版社「めこん」を経営する一方、アジア各地との交流を進めている。 東西南北回廊の拠点 ...
ユダヤ教の始まり、賀川豊彦「神による信仰」から2018.10.01 04:20 アブラハム、イサク、ヤコブの三代を以て、イスラエル民族は立派に基礎が出来たが、之れは決して肉の歴史ではない。心の歴史である。アブラハムは全く神に依つた生涯を送り、其子イサクの代に至つては、肉に依らず全く霊に依り、柔和なる者が国を嗣ぐとの模範を示し、ヤコブに至つて遂に国民の型が出...
天平の甍と鑑真和尚2018.10.01 04:05奈良の唐招提寺の本堂のどちらかの甍が唐からもたらされたものであることは意外と知られていない。井上靖「天平の甍」に書いてあるのだが、不思議なことに北方の渤海王国を経由して運ばれた。東シナ海を渡ったのではなく、日本海を渡って招来されたのである。僕が唐招提寺を初めて訪れたのは20歳の時...
高知に招かれたら一流2018.10.01 03:39 僕は4年前から、はりまや橋夜学会を毎週金曜日夜に開催している。もう116回開催したから大したものだと思っている。実は僕の母方の祖父、片岡一亀が始めたのが高知市夏季大学だった。講義は早朝6時からだった。始まったのが僕が生まれた年の昭和26年だから、夏季大学はもう67年続いているこ...
伊勢がブランドだったこと2018.10.01 01:39子どものころ、吉祥寺に住んでいた。水道道路がまだ舗装されていなくて子どもたちの遊び場だった。井の頭公園の近くに「いせや」という焼き鳥屋があって繁盛していた。おじさんたちは昼から酒を飲んでいたのだろう。その焼き鳥がおいしくて、というより店の前を通るとよだれがでるほどのうまそうなにお...